※第三審迄のネタバレが含まれます。
※この記事では、第一審~第三審のMV、第三審資料、これまで映像内で公開された情報を中心に考察しています。
Voice Dramaについては、現時点では未視聴です。
『MILGRAM -ミルグラム-』囚人番号001、ハルカ/櫻井遥。
第一審「弱肉共食」を見た時、私には分からないことがたくさんありました。
妙に生々しく描かれる犬。
森の中で石を振り下ろすハルカ。
顔の見えない母親と少女。
水へ沈んでいく映像。
そして、幼いハルカと成長したハルカ。
第二審「全知全悩」になると、母親との関係や動物への加害がより具体的に見えてきました。
それでも「母親はなぜハルカへの愛情を失ったのか」「第一審の少女は誰なのか」「本当に動物を殺していたのか」など、多くの謎が残りました。
第三審では、ハルカの生育歴と事件についてかなり詳しい資料が公開されています。
そこで今回は、第一審・第二審の記事を書いた当時に残していた疑問を拾い直し、第三審まで見たことで、何が分かったのか。改めて答え合わせをしてみます。
- 第一審では「愛されたい弱者」に見えていた
- 母親は最初からハルカを愛していなかった?
- 「みんなができることを自分だけできない」は何だった?
- 犬は本当に殺されていた?
- なぜハルカは動物を殺したのか
- 警察に捕まることすら「嬉しかった」
- 第一審の少女は誰だった?
- 母親の首を絞める場面は本当に起きた?
- ネックレスは母親のものだった?
- 水に沈む場面は「生まれ直し」だった?
- 「弱肉共食」はどう見えるようになった?
- 第一審の「愛される弱者になりたい」はどう変わった?
- 殺人とハルカ自身の死は、実は同じだった?
- 第一審から第三審までで答えが出たこと
- 第三審まで見ても残った謎
- まとめ|「愛されたい」から「自分が存在した証拠を残したい」へ
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第一審では「愛されたい弱者」に見えていた
第一審「弱肉共食」で最も強く感じていたのは、ハルカは誰かに愛してほしいのではないか?ということでした。
自分だけスタートラインが違う。
他人ならできることが、自分にはできない。
自分は「ハズレ」なのではないか。
そうした自己評価の低さがあり、その中で母親からの愛情を強く求めているように見えました。
当時は「愛される弱者になりたかったのではないか」とも考えていました。
犬だけが妙に現実的に描かれていたことから、犬が「守られ、愛される弱い存在」の象徴なのではないかとも考えていました。
第三審まで見ると、この「愛されたい」という方向そのものは間違っていなかったと思います。
ただし、第三審で分かったハルカの欲求は、もっと切実でした。
単に愛情が欲しいのではありません。
自分が誰かに影響を与えたことを確認したい。
そのために、他人から向けられる強い感情そのものを求めるようになっていました。
母親は最初からハルカを愛していなかった?
第一審では、母親から見放されたハルカを想像していました。
しかし第二審では、昔は母親に愛されていたのではないか。という可能性が強くなります。
昔のように抱きしめてほしい。
以前の状態へ戻りたい。
そう見える描写があったためです。
では、何が変わったのでしょうか。
第二審当時は、
- 兄弟姉妹と比較されるようになった
- 母親が女の子を望んでいた
- 成長したハルカが父親へ似てきた
など、いくつか仮説を考えていました。
第三審で出た答え|過保護から無関心へ
第三審資料では、ハルカの両親はもともと過保護だったことが分かりました。
しかし、ハルカの成長が他の子どもより遅れていることを受け入れられなかった。
本人の発達に合わせた教育を行うこともできず、周囲との差はさらに開いていきます。
そして両親は疲れ果て、過保護から無関心へ変わった。
つまり、第一審・第二審で感じていた「昔は愛されていたのに、途中から母親の愛情を失った」という部分は近かったようです。
ただし、そのきっかけは「別の子どもが現れたから」とは限らなかった。
ハルカ自身の発達の遅れを両親が受け入れられず、親子関係そのものが崩れていったことが大きかったようです。
「みんなができることを自分だけできない」は何だった?
第一審では、ハルカが自分と周囲の違いを強く意識していることが気になっていました。
ただし当時は、何らかの特性があるのか、それとも、本人が過剰に自分を低く見ているだけなのか。
具体的には分かりませんでした。
第三審では、15歳の時点でも漢字を十分に読むことが難しかったことなど、発達の遅れが具体的に示されています。
つまり第一審で繰り返されていた「みんなにはできるのに、自分にはできない」という感覚には、実際の生活上の背景がありました。
ハルカ本人だけの思い込みではありません。
そして周囲との差が広がるほど、自分は普通ではない。自分には価値がない。という認識も強まっていったのでしょう。
犬は本当に殺されていた?
第一審で特に気になったのが犬でした。
周囲が子どもの絵のような世界なのに、犬だけが生々しい。
さらに森の中では、ハルカが石を使って何かを何度も殴っているように見えます。
当時は、犬を殺していたのではないか。という可能性を考えていました。
第二審ではさらに動物への加害が強く示唆され「ハルカは本当に動物を殺していたのか」が大きな疑問として残りました。
第三審でほぼ答えが出た
第三審資料では、ハルカが隠れて小動物を殺し始め、その対象が徐々に大きくなったことが明らかになりました。
最終的には、誰かに飼われている犬や猫まで殺しています。
つまり、第一審の犬が殺害された動物を示していた可能性は非常に高くなりました。
石を振り下ろしていた場面についても、動物への加害と考えるのが自然かなと思います。
第一審では「愛される弱者として犬を見ていたのでは」とも考えました。
第三審後に見ると、犬はそれだけではなく、誰かから大切にされている存在を壊すことで、その飼い主から強い感情を引き出す対象でもあったように見えます。
なぜハルカは動物を殺したのか
ここは第三審で最も大きく印象が変わった部分のひとつです。
第二審では、母親の注意を引くために、生き物を傷つけていたのではないか、と考えていました。
これは一部当たっていたと思います。
ただ、第三審ではさらにその先が示されました。
ハルカは、殺されたペットを見て泣き叫ぶ人間を見た時、自分と他人がつながったような感動を覚えたようです。
自分が何かをした。
その結果、誰かが強く反応した。
つまり自分は、その人の感情を動かすことができた。
ハルカにとってそれは、自分が相手の世界に存在している証明だったのかもしれません。
だから問題行動が止まらない。
むしろ徐々に大きくなっていきます。
「母親に見てほしい」という欲求から始まったものが、誰でもいいから、自分によって強い感情を持ってほしいという形へ広がっていったように見えます。
警察に捕まることすら「嬉しかった」
この構造を考えると、第三審資料に出てきた警察とのやり取りも印象的です。
ハルカの動物への加害が発覚。
警察から問い詰められます。
普通なら恐怖や焦りを感じそうな場面です。
しかしハルカは、自分に興味を持ってもらえていると感じ、興奮したようです。
さらに両親まで自分のために呼ばれる。
警察も見る。
両親も見る。
周囲の人間が、自分一人へ注目している。
ハルカにとっては、それまで得られなかったものが一気に手に入った瞬間だったのでしょう。
第一審で感じていた「罪だと認めてほしいのか」という疑問も、第三審後だと少し違って見えます。
罪人として認めてほしかったというより、何でもいいから、自分という存在を認識してほしかった。その方が近そうです。
第一審の少女は誰だった?
これは第三審でも完全には確定していません。
第一審では少女と手をつなぐ描写があり、単純に距離の近い存在に見えました。
当時は、友人なのか、姉妹なのか、それとも、母親がハルカより愛した比較対象なのか、と考えていました。
第二審では「姉妹ではないか」という可能性をさらに強く考えています。
第三審後は「被害者」の可能性が上がった
第三審では、ハルカが花火大会の日に、自分より無力な子どもを殺害したことが明らかになりました。
そのため第一審に登場していた少女は、ハルカが殺害した子どもだった可能性が私の中で最も高くなっています。
ただし、第一審に登場した子どもたちのすべてが誰なのかまでは、まだ整理しきれません。
幼少期のハルカを重ねた象徴なのか。
実在する別の子どもなのか。
ここは第三審まで見ても残っている謎です。
母親の首を絞める場面は本当に起きた?
第二審では、母親と思われる人物へ駆け寄ったハルカが拒絶され、その後首を絞めるような映像があります。
当時は、実際に母親を殺そうとしたのか、という疑問を残していました。
第三審資料で明らかになった実際の殺人は、子どもへの加害です。
少なくとも現時点では、母親を絞殺したという事実は確認できません。
そのため第二審の首を絞める場面は、ハルカの殺意、母親へ自分だけを見てほしいという欲求、拒絶への怒り……そうした感情を映像化した可能性が高そうです。
実際に起きた出来事だと断定する必要はなくなりました。
ネックレスは母親のものだった?
第二審では、引き出しのアクセサリーやネックレスが気になっていました。
母親のものではないか。
母親とのつながりを示すものではないか。
と考えています。
第三審では、死亡直前のハルカがネックレスのようなものを手に持っています。
そして最後に思い浮かべるのは母親です。
そのため、ネックレスと母親とのつながりは第二審当時より強く感じます。
ただし、ネックレスの所有者などが明確に説明されたわけではありません。
ここは「母親との関係を示す重要なモチーフ」である可能性が高いものの、まだ完全な答えは出ていない部分として残しておきたいと思います。
水に沈む場面は「生まれ直し」だった?
第一審・第二審で何度も気になっていたのが水です。
第二審では特に、
羊水なのではないか。
母親に愛される子どもとして生まれ直したいのではないか。
と考えていました。
第三審資料では、この水について直接的な答えはありません。
ただ、ハルカが母親から愛されていた過去へ強く執着していたことは明らかになりました。
そのため、もう一度、母親に愛される自分として始めたいという象徴として水を見る解釈は、第三審後も残せると思っています。
これは「答えが出た謎」ではなく、第三審によって背景が補強された仮説という位置づけになりそうです。
「弱肉共食」はどう見えるようになった?
第一審では、ハルカ自身が「弱者」であることが強く見えていました。
周囲についていけない。
母親から見放される。
誰かから愛してほしい。
だから「弱肉共食」というタイトルも、弱いハルカが強い存在に食われる物語のように感じていました。
しかし第三審まで見ると、ハルカ自身もまた、自分より弱いものを選んでいます。
小動物。
犬や猫。
そして、自分より明らかに無力な子ども。
つまりハルカは、強者に傷つけられる弱者でありながら、自分より弱い存在に対しては強者になる。
第一審タイトルは、この二重構造まで含んでいたように見えます。
第一審の「愛される弱者になりたい」はどう変わった?
第一審当時の「愛される弱者になりたかったのではないか」という考察。
第三審後も完全に外れたとは思いません。
ただ、少し変わりました。
ハルカが本当に求めていたのは、弱いから守られることそのものではなく、自分という存在を誰かの中に残すこと、だったのかもしれません。
愛される。
怒られる。
泣かれる。
問い詰められる。
必要とされる。
相手から向けられる感情が何であっても、自分へ強く向けられた感情なら「つながり」になる。
だから動物を殺すことも、人を殺すこともやめられなかった。
そしてMILGRAMでは、その対象がムウへ変わります。
殺人とハルカ自身の死は、実は同じだった?
第三審まで見たことで、これは大きく印象が変わりました。
ハルカは現実世界では、誰かを傷つけることで、自分の存在価値を確認していました。
MILGRAMではムウと出会い、誰かの役に立つことで、自分の存在価値を確認するようになります。
一見すると、とても良い変化です。
しかし根本は同じでした。
自分自身だけでは、自分に価値があると思えない。
誰かの反応によってしか、自分の価値を確認できない。
だから、人を殺して注目を集めることも。ムウを赦させるために自分が死ぬことも。
ハルカの中では「誰かへ影響を与え、自分が必要な存在になる」という一本の線でつながっています。
第一審を見た時には、ここまで同じ構造だとは思いませんでした。
第一審から第三審までで答えが出たこと
改めて整理すると、
母親は最初から冷たかった?
→いいえ。
もともとは過保護でした。
ハルカの発達の遅れを両親が受け入れられず、次第に無関心へ変わっています。
ハルカは本当に動物を殺していた?
→はい。
小動物から始まり、犬や猫などのペットへ対象が拡大しています。
第一審で石を振り下ろしていた相手は動物?
→可能性はかなり高くなった。
第三審資料で動物殺害が確定したため、第一審の描写ともつながります。
なぜ生き物を殺した?
→誰かから強い感情を向けられ、自分と他人のつながりを確認するため。
母親の注意を引くことだけではなく、他者全般へ広がっていました。
第一審の少女は?
→殺害された子どもの可能性が高まったが、完全確定ではない。
母親の首を絞めた?
→現実の出来事とは確認できない。
第三審で明らかになった人間の被害者は別に存在します。
ネックレスは母親のもの?
→母親との関係を示す可能性は強まったが、所有者は確定していない。
水は羊水・生まれ直し?
→直接的な答えはない。
ただし、母親に再び愛されたいという背景は第三審でかなり補強されました。
第三審まで見ても残った謎
ハルカについて多くのことが分かりましたが、すべてに答えが出たわけではありません。
特に残っているのは、
- 第一審の少女を含む子どもたちの正確な関係
- ネックレスの持ち主と意味
- 水のモチーフが何を示しているのか
- 第一審・第二審の一部映像が実際の出来事なのか、心理描写なのか
- ハルカが殺した二人目の人物について
- 現実世界のハルカ本人が、その後どうなったのか
などです。
さらに第三審では「事件翌日の未明時点の情報をMILGRAMへ保存」という新しい謎まで増えました。
真相が分かるほど、MILGRAMそのものへの疑問も増えていきます。
まとめ|「愛されたい」から「自分が存在した証拠を残したい」へ
第一審のハルカを見た時、愛されたい人だと思いました。
第二審では、母親に自分を見てほしい人に変わりました。
第三審まで見ると、さらにもう一段深く、他人の感情の中に、自分が存在していることを確認したい人だったように感じます。
愛情でもいい。
怒りでもいい。
悲しみでもいい。
自分が何かをしたことで、その人が強く反応してくれれば、自分はその人とつながることができる。
そのために動物を殺し、人を殺した。
そしてMILGRAMでは、ムウのために自分自身を殺した。
第一審で「愛される弱者になりたかった」と感じたハルカ。
第三審まで見た今では、ただ愛されたいのではなく、「自分がここにいる」と誰かに証明してほしかった人だったのかもしれないと思います。
第一審で残した疑問を第三審まで追ってみると、ハルカの行動はバラバラではありませんでした。
ずっと、誰かとつながりたい。そこから始まっていたように見えます。
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更新
2026年10月時点、第一審「弱肉共食」、第二審「全知全悩」、第三審で公開された資料までをもとに、過去の記事で残していた疑問を再考察しています。
Voice Dramaについては現時点では未視聴のため、Voice Drama内でのみ明らかになっている情報は使用していません。
