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MILGRAMの「正義」と私刑を考える|誰に他人を裁く資格があるのか

※第三審迄のネタバレが含まれます。
※この記事では、第一審~第三審のMV、第三審資料、これまで映像内で公開された情報を中心に考察しています。

Voice Dramaについては、現時点では未視聴です。
そのため、Voice Drama内でのみ明らかになっている本人の発言や心境は考察に含めていません。

『MILGRAM -ミルグラム-』には「裁く」という行為が何度も登場します。

悪いことをした人間をネット上で追い詰めたフータ。
教義に反した人間へ罰を与えるアマネ。
警察や報道が追わなかった犯罪者を自分で見つけ、制裁したコトコ。

そして囚人10人の罪を見せられ「赦す」「赦さない」を選ぶエスと私たち視聴者。
さらに、その判定によって囚人へ処置を与えるMILGRAMというシステム。

第三審まで見ると、一体、誰に他人を裁く資格があるのか?という問いが、作品全体を通して存在しているように感じます。

今回は、MILGRAMに登場するさまざまな「正義」と「私刑」を比較して考えてみます。

フータ|多数で行う「正義」

フータの第一審「事変上等」で描かれたのは、ネット上での私刑でした。

誰かが問題行動を起こす。
それを見つける。
情報を拡散する。
仲間が集まり、対象を攻撃する。

フータ自身は、自分たちを悪いことをしている人間だとは考えていなかったように見えます。
むしろ、悪いことをした人間へ罰を与えている。……という感覚が強かったのではないでしょうか。

「みんなでやれば正義になる」

フータの特徴は、自分一人で裁いていないことです。

周囲には同じ目的を持つ仲間がいる。
誰かが情報を見つける。
誰かが拡散する。
誰かがさらに深掘りする。
そうして対象者を追い詰めていきます。

集団で行動することで、自分一人が責任を負っている感覚が薄れていく。
そして、これだけ多くの人が怒っているのだから、自分たちは正しい。という確信も生まれやすい。

しかし第三審で、その対象が中学生の少女だったことが明らかになります。
フータたちは少女の問題行動を大きく取り上げ、個人情報まで突き止めていった。

そして少女は死亡しました。

正義の対象が「人間」へ戻った瞬間

ネット上では、悪いことをした炎上上等な相手、として見えていた少女。

しかしフータは、その少女の葬儀を目にします。
画面の向こうにいた対象が、本当に生きていた一人の人間だった。
その現実を初めて突きつけられたように見えます。

フータの正義は「多数が同意したから正しい」という危うさを持っています。

アマネ|教義によって与えられた「正しさ」

アマネの裁きは、フータともコトコとも違います。

アマネ自身が「私はこれを正しいと思う」と一から判断したわけではありません。
幼い頃から、これをしてはいけない。教義へ背いてはいけない。間違った者には罰を与える。と教えられてきた。

自分が受けた罰を、そのまま他者へ返す

第三審では、アマネが幼少期から受けてきた罰が明らかになります。

冷水。
棒による暴力。
電気ショックを思わせる制裁。
母親が医療を求めた時、アマネはその母親へ、自分が受けた罰を返しました。
しかも、回数まで再現するように。

これは、アマネが新しい残酷な罰を考えたという話ではありません。
アマネにとって「間違った人間には、こうするもの」だった。
だから自分も罰された。
そして母親も、教義へ背いたから罰される、という流れなのです。

「教えられた正義」は誰の責任なのか

アマネは自分の行動を正しいと信じています。
では、その正しさを教えた大人たちの責任はどうなるのでしょうか。

アマネが他人を裁く時、その判断基準は彼女自身が作ったものではありません。
だから「正しくないことをしたから、アマネが悪い」だけでは終われません。

裁きの基準そのものを誰かから与えられた人間。

そこに、MILGRAMの難しさがあります。

コトコ|自分自身が裁判官になる「正義」

コトコは、フータやアマネとまた違います。

彼女は自分で調べます。
自分で考えます。
自分で対象を決めます。
そして自分で罰します。

第三審で、その原点が明らかになりました。

誰も追わなかった犯罪を追った

コトコが追っていたのは、小中学生の少女を狙った誘拐事件。
犯人として噂されていたのは高級官僚の息子。
早い段階で捜査線上へ浮上していたにもかかわらず立件されず、大手報道も扱わない。
一部の雑誌もやがて追わなくなる。
しかしコトコだけは追い続けました。

そして実際に犯行現場を押さえます。

コトコは本当に少女を救った

ここが、コトコの正義を単純には否定できない理由です。
彼女は現場へ踏み込み、実際に少女を助けました。

警察も報道も助けなかった少女。
その少女を救ったのはコトコだった。

その経験が「自分が動けば人を救える」「誰も裁かないなら、自分が裁く」という確信へつながったのだと思います。

しかし、救助と処罰は別

問題はその後です。
男を制圧する。
少女を救う。
ここまでは救助です。

しかしコトコは、すでに制圧した後も相手へ暴力を加え続けます。
ここで、救うための暴力から罰するための暴力へ変わりました。

コトコは、調査員に裁判官、そして執行人の、そのすべてを一人で担うようになります。

フータとコトコは似ているようで違う

二人とも、自分が悪だと思った相手へ私刑を行います。

しかしその構造は随分と違います。

フータは、集団の正義。
コトコは、個人の正義。

フータは周囲の同意によって自分の正しさを強めます。
コトコは、周囲から否定されても自分の正しさを貫きます。

その意味では正反対です。

ただし共通するのは、正式な裁判を経ず、自分たちで罪と罰を決めたこと。
どちらも「相手が悪い」という判断から「だから自分が罰していい」へ進んでいます。

アマネとコトコも正反対

アマネとコトコは、どちらも自分が正しいと信じています。
ただし、アマネは外から与えられた正義で、コトコは自分で作った正義です。

アマネは教義を絶対視する。
コトコは自分自身の判断を絶対視する。

正反対のようで「自分の正しさを疑えなくなる」というところでは似ています。

ではエスは何をしている?

ここで考えたいのがエスです。

エスはMILGRAMの看守。
10人の囚人の罪を見せられ、赦す/赦さないを決めます。

しかしエスは裁判官なのでしょうか。

エス自身が事件を目撃したわけではない

私たちが得られるのは、以下の物が中心です。

  • 囚人の記憶
  • 楽曲
  • MV
  • 資料
  • 本人の言葉

つまり、すべて断片です。

その断片を見て「この人は赦す」「この人は赦さない」と決めます。
フータのネット私刑と比べれば、公式に用意されたシステムの中で行っているという違いはあります。

しかし構造だけを見ると、提示された情報から他人の罪を判断しているという部分は似ています。

視聴者である私たちも裁く側

そしてMILGRAMでは、エスだけではなく視聴者も投票します。

私たちは囚人本人を知りません。
事件現場にもいません。
被害者本人の話を直接聞いたわけでもありません。

それでも、赦す/赦さないを選ぶ。
この時、私たちはフータやコトコと何が違うのか?という疑問が生まれます。

MILGRAMは「正当な裁判」なのか

MILGRAMそのものについても同じことが言えます。

10人を集める。
過去を提示する。
看守へ判定させる。
判定に応じて処置を与える。

これは、罪を発見する→ 判断する→ 罰を与えるという構造です。
つまりMILGRAMも、コトコがやっていたことと非常によく似ています。

違いは、MILGRAMというシステムが、その行為を許可しているということだけなのかもしれません。

「制度が認めれば私刑ではなくなる」のか

ここでひとつ気になります。

コトコが誰かを殴れば私刑。
フータがネットで誰かを追い詰めれば私刑。
アマネが教義に従って人を罰すれば暴力。

では、MILGRAMという制度が囚人を裁けば、それは正当になるのでしょうか。

制度が存在すること。
ルールが存在すること。
投票が存在すること。

それだけで「他人を裁く資格」は生まれるのでしょうか。

コトコはMILGRAMの鏡なのではないか

第三審まで見ると、コトコがMILGRAMと似ていることがだんだんと気になりました。

コトコは、

  • 犯罪者を探す
  • 情報を集める
  • 罪を判断する
  • 罰を与える

MILGRAMも、

  • 罪人を集める
  • 記憶を取り出す
  • 看守へ判断させる
  • 処置を与える

構造が非常によく似ています。
だからコトコが看守やMILGRAMそのものへ強く食ってかかるのも「お前たちも私と同じことをしているだろう」という関係に見えます。

「次はお前の番」

第三審コトコの楽曲では、次に誰かが裁かれることを思わせる内容が登場します。

さらに、残されている囚人より一つ多いように見えるアンダー。
第二審「ディープカバー」で示された「011」と看守を結びつける表現。

これらを合わせると、001~010が囚人。
その次の011が看守。
という可能性もやはり考えたくなります。

もしそうなら、囚人10人を裁き終えた後、最後に裁かれるのは看守側なのかもしれません。

看守を裁くのは誰?

ここで問題になります。

エスが囚人を裁く。
では、エスを裁くのは誰でしょうか。

コトコ?
ジャッカロープ?
MILGRAM?
あるいは、視聴者?

そして視聴者がエスを裁くのであれば、視聴者自身を裁く者はいるのでしょうか。
いったい、この裁きはどこまで続くのか。
コトコの「裁きは終わらない」という言葉は、この循環そのものを指しているようにも見えます。

フータ、アマネ、コトコ、エスの違い

整理すると、

フータ

多数の同意を根拠に裁く。

「みんなが悪いと言っている」という正義。

アマネ

教義を根拠に裁く。

「そう教えられている」という正義。

コトコ

自分自身の判断を根拠に裁く。

「自分が悪だと判断した」という正義。

エス/視聴者

MILGRAMという制度を根拠に裁く。

「このシステムから裁く権利を与えられている」という正義。

では、この中で誰が一番正しいのでしょうか。
第三審まで見ても、簡単には決められません。

「悪人だから何をしてもいい」になった瞬間

私刑が危険なのは、相手が悪いという判断が、なら何をしてもいいへ変わりやすいところです。

フータたちは少女の個人情報まで追いました。
コトコは少女を救った後も男への暴力を続けました。
アマネは教義へ背いた母親へ、自分が受けた罰をそのまま与えました。

一度「この相手は悪だ」と決めてしまうと、その相手が一人の人間であることを忘れていく。
それはMILGRAMの投票にも起こり得ることだと思います。

「赦さない」は罰していいという意味なのか

MILGRAMで「赦さない」を選ぶ時、その囚人へ何が起こるのか。どの程度苦しむのか。
それを私たちが完全に理解しているわけではありません。

それでも投票する。

だから「赦さない」と判断することと「その人へ苦痛を与えていい」と考えることは分けておきたいと思います。
これはコトコを第三審で「赦さない」と判断した時にも感じたことです。

コトコの正義を否定したいわけではありません。

ただ、自分で悪を決め、自分で罰を決め、自分で執行することを止めたい。
赦さないことと、苦しめたいことは同じではありません。

誰に他人を裁く資格があるのか

結局、第三審まで見ても答えは出ません。

裁判官ならいいのか。
社会ならいいのか。
多数決ならいいのか。
神や教義ならいいのか。
被害者ならいいのか。
正義感の強い個人ならいいのか。
MILGRAMならいいのか。
私たちならいいのか。

どこへ線を引いても、何かが残ります。

だからMILGRAMは「正しい判決を出せ」という作品ではなく「あなたはなぜ、その人を裁いていいと思ったのか」を問い続ける作品なのかもしれません。

まとめ|MILGRAMで裁かれているのは囚人だけではない

フータは、多数で人を裁きました。
アマネは、教義によって人を裁きました。
コトコは、自分自身の正義によって人を裁きました。
そしてエスと私たちは、MILGRAMという仕組みの中で囚人を裁っています。

方法は違います。
根拠も違います。

しかし「この人間は悪い」と判断し「だから罰を与えていい」へ進む構造は似ています。

だからコトコは、MILGRAMにとって非常に重要な存在なのかもしれません。
彼女は囚人でありながら、看守と同じことをする。
そして最後には、看守側へ牙を向ける。

「次はお前の番」
その言葉の先にいるのがエスなのか、私たちなのかはまだ分かりません。
ただ第三審まで追った今、MILGRAMで裁かれているのは、10人の囚人だけではないように感じます。

囚人を見て、その罪を知って、自分の意志で判断して、その手で投票する。
その時、自分自身が何を基準に他人を裁いているのか。

MILGRAMは、看守である私たちにもその問いを返しているのではないでしょうか。

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更新

2026年10月時点、第三審で囚人番号010コトコまで公開されたMV・第三審資料をもとにした考察です。

Voice Dramaについては現時点では未視聴のため、Voice Drama内でのみ示されている内容は考察へ含めていません。

第三審終了後に新たな公式情報が公開された場合は、必要に応じて追記・修正します。

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