※第三審迄のネタバレが含まれます。
※この記事では、第一審~第三審のMV、第三審資料、これまで映像内で公開された情報を中心に考察しています。
Voice Dramaについては、現時点では未視聴です。
そのため、Voice Drama内でのみ明らかになっている本人の発言や心境は考察に含めていません。
今後Voice Dramaを視聴した場合や、新たな公式情報が公開された場合は、必要に応じて追記・修正します。
『MILGRAM -ミルグラム-』には、10人の囚人が登場します。
しかし第三審まで見てみると、全員が同じように「自分は人を殺した」「自分は悪いことをした」と認識しているわけではありません。
強い罪悪感を抱いている人。
結果を後悔していても、自分の考えそのものは捨てていない人。
自分は正しいと信じている人。
加害者でありながら、自分自身も被害者だと感じている人。
そして、自分が何をしたのかすら知らない人。
同じ「囚人」でありながら、罪との距離はまったく違います。
今回は、第一審から第三審までの情報をもとに、10人が自分自身の罪をどのように捉えているのかを比較してみます。
- 001 ハルカ|「悪いことをした」より「愛されたい」が強い
- 002 ユノ|自分を「罪人」として扱われること自体に距離がある
- 003 フータ|結果への罪悪感は強いが、思想まで捨てたとは言い切れない
- 004 ムウ|自分が傷つけられたことの方が強く残っている
- 005 シドウ|10人の中でも特に強く自分を罪人だと認識している
- 006 マヒル|「愛したこと」ではなく「相手を見られなかったこと」に気づく
- 007 カズイ|罪悪感はあるが、「自分自身であること」まで罪だと思ってしまっている
- 008 アマネ|自分が正しいと信じている
- 009 ミコト|そもそも自分の罪を認識できていない
- 010 コトコ|自分は今でも正しいと思っている
- 10人を「罪の自覚」で分類すると?
- 「反省しているか」だけでは裁けない
- 「自分を赦せない人」と「自分を疑わない人」
- 「赦す」とは罪を肯定することなのか
- まとめ|10人は、自分の罪を同じようには見ていない
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001 ハルカ|「悪いことをした」より「愛されたい」が強い
ハルカは、自分の行為が一般的に悪いことだという認識自体は持っているように見えます。
ただし、彼の中で最も強いのは罪悪感ではありません。
愛されたい。
必要とされたい。
自分を見てほしい。
という欲求です。
第一審では母親から愛されることを求め、第二審以降はその依存先がムウへ移っていきます。
第三審まで見ると、ハルカは自分が誰かを傷つけたことよりも、自分が愛されなかったこと、必要とされなくなることを強く恐れているように感じます。
そのため、罪そのものを深く反省しているというより、自分を必要としてくれる相手を失わないことの方が優先されている人物に見えます。
第三審では、ムウを赦させるために自分自身の命まで使いました。
ここまで来ると、ハルカにとって重要なのは「自分の罪を償うこと」ではなく、自分の存在に意味を与えてくれる相手を守ることだったのかもしれません。
罪の自覚
ある。
ただし罪悪感より依存・愛されたい欲求の方が強い。
002 ユノ|自分を「罪人」として扱われること自体に距離がある
ユノは、自分が経験したことや自分自身の選択について理解しています。
しかし、
だから私は可哀想な被害者です。
だから私は罪深い人間です。
という他人からの意味づけを嫌います。
第一審から、ユノはかなり現実的です。
自分が何をしていたのか。
何が起きたのか。
自分の身体に何があったのか。
それ自体を認識していないわけではありません。
ただし、それをどう評価するかまで他人に決められたくない。
第二審では特に、こちら側からの同情や理解に対する拒絶が強く出ていました。
第三審まで見ると、ユノにとって「罪を自覚する」という言葉そのものが少しずれているように感じます。
彼女は、自分の人生を自分で引き受けている。
でも、それを「罪」と呼ぶかどうかは別。
そのため10人の中でも、罪悪感というより、自分自身の人生への自己決定意識が強い人物だと思います。
罪の自覚
出来事への認識はあるが、それを他人から「罪」と定義されることには反発している。
003 フータ|結果への罪悪感は強いが、思想まで捨てたとは言い切れない
フータは、第一審では自分の行動をかなり正当化していました。
悪い人間を叩く。
みんなで制裁する。
それは正しいこと。
ネット上で行われる私刑を、一種のゲームのようにも扱っています。
しかし第二審以降、自分自身が追い詰められる側になります。
そして第三審では、自分が標的にした少女が死亡していたことを知り、その葬儀まで目にします。
ここでフータは明らかに動揺しています。
自分たちの行動が、本当に一人の人間の死へつながった。
その現実に対する罪悪感や恐怖は、かなり強いように見えます。
ただし「悪を裁くこと自体が間違っていた」とまで考えを変えたかは分かりません。
結果は後悔している。
でも、自分が持っていた正義そのものまで完全に否定したとは言い切れない。
そのためフータは、結果への罪悪感は非常に強いが、思想の修正はまだ途中という位置にいるように感じます。
罪の自覚
強い。
ただし「結果への後悔」と「思想そのものへの反省」は分けて考える必要がある。
004 ムウ|自分が傷つけられたことの方が強く残っている
ムウは、自分が他人を傷つけたことを理解していないわけではありません。
ただ、彼女の中ではそれ以上に、
自分も傷つけられた。
自分も苦しんだ。
という感覚が強くあります。
第二審「悪くないもん」というタイトルからも、その姿勢は分かりやすいです。
自分だけが悪いわけではない。
周囲も悪かった。
転校生も自分を傷つけた。
自分にも理由があった。
第三審では、ムウが直接取り巻きへ命令していたわけではないことも分かります。
しかし、自分を中心とした序列や、周囲が自分の感情を察して他人を攻撃する構造について、完全に無自覚だったとも言いにくい。
最後には自分自身の手で転校生を刺しています。
それでもムウには「自分は加害者だった」より「自分も被害者だった」という認識の方が強く見えます。
罪の自覚
あるものの、自分の被害者性によって相対化している。
005 シドウ|10人の中でも特に強く自分を罪人だと認識している
シドウは、他の囚人と比べて、早い段階から自分を罪人として扱っています。
自分は死ぬべき。
赦されるべきではない。
自分自身へ非常に厳しい。
第三審資料によって、その理由がさらに明確になりました。
家族が事故に遭った時、事故相手のトラック運転手を意図的に救わなかったこと。
そして長男が臓器提供の意思を示していたにもかかわらず、その意思表示を破棄したこと。
シドウは、それまで他人の家族へ臓器提供を求める立場でした。
しかし自分の子どもについては、それができなかった。
彼が最も赦せないのは、医師としての自分と、父親としての自分が一致しなかったことなのだと思います。
ただし興味深いのは、自分自身は救わないのに、他人は救い続けること。
自分には罰を求める。
でも目の前の人は助ける。
シドウの罪悪感は、自分を壊す方向へ向かっているように感じます。
罪の自覚
非常に強い。
むしろ自己罰が過剰なほど強い。
006 マヒル|「愛したこと」ではなく「相手を見られなかったこと」に気づく
マヒルは、自分が恋人を愛していたこと自体は最後まで否定していません。
そして実際、その気持ちは本物だったと思います。
問題は、自分が幸せだったから、相手も幸せだと思ってしまったこと。
第三審で恋人の死を知った後、マヒルは初めて、自分は彼の表情を本当に見ていたのか。
彼は苦しいと言えない状態だったのではないか。自分が彼を追い詰めていたのではないか。という方向へ考え始めます。
これは重要な考え方の方向性です。
マヒルは、愛したことそのものを罪だと思っているわけではない。
でも、自分の愛し方によって相手を見失っていた可能性には気づいている。
そのため、完全な自己否定ではなく、自分が何を見落としていたのかを理解し始めた段階にいるように感じます。
罪の自覚
ある。
第三審で初めて「自分の愛が相手へどう作用していたか」を見始めた。
007 カズイ|罪悪感はあるが、「自分自身であること」まで罪だと思ってしまっている
カズイには強い罪悪感があります。
妻へ本当のことを言わずに結婚したこと。
妻の人生を自分の嘘へ巻き込んだこと。
そして告白した翌日に妻が自ら命を絶ったこと。
そこへの後悔は強いものです。
ただし、カズイの場合には別の問題があります。
彼が罪悪感を抱いている対象の中に、男性を好きになった自分自身まで混ざっているように見えることです。
本来そこは罪ではありません。
しかし厳格な家庭で「正しい人間」であることを求められ、自分の本当の気持ちを隠して生き続けたカズイにとって、自分自身の存在と、自分がついた嘘を切り離すことが難しい。
だから彼は「妻へ嘘をついたこと」を後悔しているだけではなく、こんな自分であったこと自体を責めてしまっているようにも見えます。
罪の自覚
強い。
ただし、本来罪ではない自己の一部まで罪悪感へ巻き込んでいる。
008 アマネ|自分が正しいと信じている
アマネは、10人の中でも最も分かりやすく、自分が正しいと信じている人物だと思います。
母親を殴った。
医療行為を否定した。
シドウへも攻撃した。
しかし本人の中では、それは単なる暴力ではありません。
教義へ背いた者へ、正しい罰を与えた。
自分が幼い頃からそう教えられてきた。
そして自分自身も、同じ方法で罰を受けてきた。
第三審で明らかになったのは、アマネが暴力を発明したのではなく、大人から教えられた「正しい罰」を忠実に再現したという事実でした。
だからアマネに「悪いことをしたと認めなさい」と言っても簡単には届かない。
彼女にとっては、悪いことをしたのは自分ではなく、教義へ背いた相手だからです。
罪の自覚
ほぼない。
むしろ自分の行為を正義・義務として認識している。
009 ミコト|そもそも自分の罪を認識できていない
ミコトは、他の9人とは少し違います。
自分が人を殺したことを認めない。
ではなく、本人は本当に何が起きたのか知らなかった可能性が高い。
第三審で、12人の殺害が二日間に集中していたことが明らかになりました。
その二日間、ミコト本人は倒れていた。
その間にもう一人の人格が表へ出て、人々を殺害していた。
そしてミコト本人は目を覚まします。
大量の通知。
仕事を失っている。
身体は重い。
でも心はなぜか軽くなっている。
だからもう、これから自由に生きようと思う。
……そして玄関を開けると警察がいる。
つまりミコト本人には「自分が12人を殺した」という前提そのものが存在していません。
罪を反省する以前の問題です。
自分が何をしたのか分からない。
自分の身体が何をしたのか知らない。
そのためミコトは、罪の自覚がない人物というより、罪を認識するための情報自体を持っていない人物と考えた方が近いと思います。
罪の自覚
ない。
ただし否認しているのではなく、本人に記憶と認識がない。
010 コトコ|自分は今でも正しいと思っている
コトコもアマネと同じく、自分の行動を正しいと考えている側の人物です。
ただし二人の正義はかなり違います。
アマネは教えられた教義を守る。
コトコは自分自身の判断によって悪を見つけ、裁く。
第三審で、コトコが実際に少女を救っていたことが明らかになりました。
警察も大手報道機関も追わない事件。
犯人として噂されていた高級官僚の息子。
コトコは一人で追い続け、現場を押さえ、少女を救った。
だからコトコには、自分の正義によって本当に人を救ったという成功体験があります。
そのため世間から私刑だと批判されても「では誰があの少女を助けたのか」という気持ちは残るでしょう。
ただし、その後の暴力は少女救出に必要な範囲を越えています。
さらにMILGRAM内でも、自分が裁く側に立ちました。
それでも第三審まで見る限り「自分の正義そのものが間違っていた」とは考えていないように見えます。
罪の自覚
自分の行為が問題視されていることは理解しているが、自分の正義そのものは否定していない。
10人を「罪の自覚」で分類すると?
第三審までの情報をもとに、大まかに分けるとこうなります。
強く自分を責めている
- シドウ
- カズイ
どちらも自分自身への罰が強すぎるほどです。
ただしカズイは、本来罪ではない自分自身の性質まで罪悪感へ巻き込んでいるように見えます。
自分の問題に気づき始めている
- マヒル
- フータ
結果を見たことで、自分の行動が他者へ何を与えたのかを考え始めています。
ただしフータは、思想そのものを完全に捨てたとはまだ言い切れません。
自分も被害者だったという認識が強い
- ハルカ
- ムウ
二人とも加害者ですが、自分自身の満たされなさや被害体験が非常に大きく、罪の認識にも影響しています。
「罪」という枠そのものと距離がある
- ユノ
出来事は理解していますが、他人から一方的に「可哀想」「罪人」と定義されることを拒んでいます。
自分が正しいと考えている
- アマネ
- コトコ
ただし、アマネは教義による正しさ。
コトコは自分自身の正義による正しさ。
同じ「正しい」でも根拠が異なります。
そもそも罪を認識できていない
- ミコト
本人に殺人の記憶がないため、反省以前の段階です。
「反省しているか」だけでは裁けない
こうして並べると、
反省している=赦す
反省していない=赦さない
では簡単に判断できないことが分かります。
たとえばシドウは非常に強く反省しています。
しかし、その自己罰は過剰です。
逆にアマネは、自分が正しいと思っています。
でもその正しさ自体が、幼い頃から大人によって教え込まれたものです。
ミコトに至っては、反省しろと言われても本人には事件の記憶がありません。
ユノは、自分を罪人として扱われることそのものを拒絶します。
つまりMILGRAMでは、罪の自覚そのものが、責任の重さと必ずしも比例していません。
「自分を赦せない人」と「自分を疑わない人」
10人を見ていて、特に対照的なのが、自分を赦せない人と自分を疑わない人です。
シドウは、自分を赦しません。
カズイも、自分自身を責め続けます。
一方で、アマネは教義を疑わない。
コトコは自分の正義を疑わない。
どちらも極端です。
そしてMILGRAMでは、その両方へ外側から「赦す/赦さない」を与えます。
ここが面白いところです。
自分を赦さない人へ、こちらが「赦す」と言う。
自分が正しいと思う人へ、こちらが「赦さない」と言う。
MILGRAMの判定は、単純な刑罰ではなく、囚人自身の自己認識へ外側から別の判断をぶつける仕組みにも見えます。
「赦す」とは罪を肯定することなのか
第三審まで見ると、この問題もさらに難しくなりました。
アマネを赦す。
それは教義を肯定することなのか。
コトコを赦す。
それは私刑を肯定することなのか。
ミコトを赦す。
それは12人の被害を軽く扱うことなのか。
シドウを赦す。
それは彼の選択を正しかったと言うことなのか。
私は、そうではないと思っています。
MILGRAMの「赦す」は、行為を正しかったと認定することとは別なのではないでしょうか。
その人が今後も生きること。
変わる可能性を残すこと。
自己認識を変えること。
そうしたものまで含めた判断なのかもしれません。
まとめ|10人は、自分の罪を同じようには見ていない
第三審まで見ると、10人の囚人はそれぞれまったく違う位置から自分の罪を見ています。
自分を強く責める人。
結果を後悔する人。
自分も被害者だったと考える人。
自分の正義を信じる人。
そして、自分が何をしたのかすら知らない人。
だからMILGRAMで難しいのは、同じ「赦す/赦さない」という二択を、まったく違う自己認識を持つ10人へ与えていることなのだと思います。
罪を自覚しているか。
反省しているか。
後悔しているか。
自分を正しいと思っているか。
それだけでは判断できません。
第三審まで追ったことで「何をしたのか」だけではなく、本人がその罪をどう理解しているのかも、MILGRAMを考えるうえで非常に大きな要素になりました。
次は、この「罪を裁く」という行為そのものについて、フータ、コトコ、アマネ、エス、そしてMILGRAMの正義は何が違うのかを比較してみたいと思います。
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更新
2026年10月時点、第三審で囚人番号010コトコまで公開されたMV・第三審資料をもとにした考察です。
Voice Dramaについては現時点では未視聴のため、Voice Drama内でのみ示されている内容は考察へ含めていません。
新たな公式情報を確認した場合は、必要に応じて追記・修正します。
