『MILGRAM -ミルグラム-』囚人番号009、ミコト/榧野尊の第二審楽曲「ダブル」。
第一審「MeMe」では、穏やかに話すミコトとは別に、明らかに雰囲気の異なるもう一人のミコトが描かれていました。
バットによる殺害らしき場面もあり「どちらが事件を起こしたのか」「穏やかなミコトは本当に何も知らないのか」が大きな疑問として残りました。
第二審「ダブル」では、その二人の関係が少し違って見えてきます。
今回強く感じるのは、どちらかが単なる「悪い人格」として存在しているのではなく、片方がもう片方を守ろうとしていること。
しかし、どちらが先に存在したミコトなのか。
どちらが「守るために生まれた」のか。
それすら、まだ簡単には決められません。
そして何より、この曲は聞いていて非常に苦しいです。
歌全体に、何かに追われ続けているような焦燥感があります。
- ミコト第二審「ダブル」の基本情報
- 冒頭、咆哮とともに鏡が割れる
- 深夜0時35分、チーフから届き続けるメッセージ
- 電車へ乗らず、スマートフォンを投げる
- 人々がマネキンになる意味
- 第一審とは違い、今回は明確な「人間の被害者」が映らない
- バットを持つミコトと、それを見ているミコト
- 白い窓と黒い窓で、二人のミコトが分かれている?
- 母親との電話では「普段のミコト」が出てくる
- 「ダブル」は二人で歌っている?
- 聞き分けにくいこと自体に意味がある?
- 片方は、もう片方を守るためにいる?
- ただし「荒い方が後から生まれた」とは限らない
- 「本当はもっとうまくやるはずだった」のは誰か
- 二人とも、お互いを守ろうとしている?
- この曲にはずっと「焦っている」感じがある
- 最後の「ごめんなさい」は、誰から誰へ?
- 第一審Voice Drama「John Doe」
- 「人の死に関わった」の“人”はミコト自身でもある?
- 今回も「赦す」という言葉が出てくる
- 私は第二審では「赦す」に傾く
- 第二審の投票結果
- 第三審で確認したいこと
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ミコト第二審「ダブル」の基本情報
囚人番号009・ミコトの第二審楽曲は「ダブル」。
MVでは、第一審よりもミコトの日常生活や仕事環境、そして二人のミコトの関係が具体的に描かれます。
第一審では「赦す」31.57%、「赦さない」68.43%で「赦さない」と判定されていました。
第二審では、その第一審判定を受けたあとのミコトを見ていくことになります。
冒頭、咆哮とともに鏡が割れる
冒頭では、強い衝動を吐き出すような声とともに鏡が割れます。
この時点で映っている、あるいは声を出しているのがどちらのミコトなのかは映像だけでは判断しづらいのですが、声質からは荒い方のミコトに聞こえました。
第一審でも鏡は二人のミコトを象徴する重要なモチーフでした。
その鏡が、第二審では最初から割れる。
二人を隔てていたもの、あるいは「こちらとあちら」を分けていた境界そのものが、もう保てなくなっているようにも見えます。
深夜0時35分、チーフから届き続けるメッセージ
スマートフォンの画面には、チーフから連続してメッセージが届いています。
時刻は午前0時35分。
内容は、
- 職務を放棄するつもりなのかという追及
- 帰ってくるよう求める連絡
- 赤字修正を翌朝までに行うよう要求
- すでに提出した初稿を別案へ朝までに作り直すよう要求
といったものです。
しかも、その流れでチーフから着信まで入ります。
今回初めて、ミコトがなぜここまで疲弊しているのか、その原因のひとつが具体的に見えました。
ミコトを追い詰めた「チーフ」
仕事の締切があること自体は珍しくありません。
しかし深夜0時35分の時点で追加修正を次々と要求され、さらに「帰ってこい」と連絡されている状況は、少なくともミコトにとって相当な負担だったように見えます。
第二審のミコトは、目の下にも疲労が見え、明らかに余裕がありません。
チーフは、ミコトを限界へ追い込んだ大きな要因のひとつだった可能性があります。
ただし、第一審でバットに殴られていた男性と、このチーフが同一人物なのかは不明です。
見た目だけでは、私にはその相手が、なんとなくチーフと呼ばれる存在には見えませんでした。
もっと、若い相手だと思っていたからです。
もし別人なら、さらに深刻です。
ミコトを追い詰めた人物と、暴力の被害者が別人だった可能性があるからです。
電車へ乗らず、スマートフォンを投げる
ミコトはそのまま電車へ乗るのではなく、電話をしたあと、スマートフォンを投げ落とします。
このあたりから、周囲の人々の姿も不自然になっていきます。
駅にいる人物たちは、生身の人間というより、デッサンで使う木製人形のような姿に変化しています。
第一審でも現実と内面世界の境目は曖昧でしたが、第二審では、ミコトから見た他人が「人間ではないもの」へ置き換わっていくように見えます。
人々がマネキンになる意味
電車内にも、同じような人形が並んでいます。
人形の近くには血を思わせる赤いものがあり、ミコトの足元にはいつの間にかバットがあります。
そして人形を殴ると、赤い液体が大きく広がります。
このマネキン表現にはいくつかの可能性があります。
一つは、実際の殺害被害者を直接描かず、抽象化しているというもの。
もう一つは、限界に達したミコトの中で、周囲の人間が「人間」として認識できなくなっているというものです。
後者なら、暴力に対する心理的な抵抗が薄れていく過程とも読めます。
第一審とは違い、今回は明確な「人間の被害者」が映らない
ここは第一審との大きな違いです。
第一審では、バットで殴られる男性が明確に描かれていました。
しかし第二審で殴られているのは、あくまでも人形です。
第二審が第一審の殺害を別表現で描き直しているだけなのか。
それとも、今回中心に描こうとしている「死」が別にあるのか。
現時点では判断できません。
ただ、この違いは第三審で確認したい部分として残しておきたいと思います。
バットを持つミコトと、それを見ているミコト
人形を殴るミコトとは別に、その姿を見ているミコトがいます。
片方は頭を抱え、かなり追い詰められている。
もう片方は、その様子を見ています。
やがて見ていた方が立ち上がり、バットを持って人形を殴り始めます。
ここで重要なのは、単純に、
穏やかなミコト=被害者
荒いミコト=加害者
とは切れなくなっていることです。
片方は怯えて逃げ、もう片方はバットを持って歩く。
しかし二人とも最後には顔を覆います。
どちらか一人だけが平然としているわけではありません。
白い窓と黒い窓で、二人のミコトが分かれている?
「ダブル」を見返していて気になったのが、電車の窓の外に見える景色です。
ミコトが映る場面では、窓の外が白く明るい場合と、ほとんど黒い闇に見える場合があります。
さらに、歌声から推測した二人のミコトと照らし合わせると、景色の色だけでなく、窓の外が流れる方向や、ミコト本人が進む方向まで反対になっているように見えます。
現時点では、
- 白い光の窓:穏やかな方のミコト
- 黒い窓:荒い方のミコト
に対応している可能性を考えています。
窓の外が流れる方向も逆になっている
穏やかな方に聞こえる歌唱では、窓の外の景色が左方向へ流れているように見えます。
一方、荒い方に聞こえる部分では、景色が右方向へ流れている。
同じ電車のように見えても、二人は逆方向へ進んでいることになります。
単なる画面構成の違いかもしれませんが「ダブル」でここまで左右が反転していることを考えると、二人のミコトが別々の方向へ進んでいることを視覚化した演出にも見えます。
ミコト自身が歩く方向も反対
窓の色だけでなく、ミコト本人の移動にも違いがあります。
白い窓の場面では、ミコトは奥から手前へ向かってくる。
黒い窓の場面では、反対に手前から奥へ向かって進んでいく。
もしこれが人格の位置関係を表しているなら、穏やかな方は表側へ出てくる、荒い方は奥へ引いていくという交代の構造にも見えます。
社会生活や母親との会話を担当している穏やかな方が「表」に出て、荒い方は普段は内側へ退いている、と考えると映像の動きとも合います。
ただし、この関係が常に固定されているのかは分かりません。
白い世界にも血がある
ここで単純に、
白=善・無実
黒=悪・殺人
とは分けられません。
白い窓の場面にも、床には血だまりのようなものがあります。
また、穏やかな方と対応しそうな白側にも、誰かを傷つけたことを思わせる表現があります。
つまり白と黒は、善悪を分ける色というより、穏やかなミコトの領域と荒いミコトの領域を区別している可能性の方が高そうです。
そして白側にも血があるなら、穏やかなミコトも事件や殺害から完全に切り離されているとは限りません。
第一審では「荒い方だけが殺した」と考えたくなる描写が多かったものの、第二審ではその前提自体を疑う必要がありそうです。
黒い側のミコトが、最後に白い窓を見る
特に気になったのが、一番最後の場面です。
黒い景色の側にいるミコトが、通路にある窓を手で拭うような動作をします。
その先に見える窓は、黒ではなく白く光っています。
もし黒が荒い方、白が穏やかな方に対応しているなら、ここでは荒い方のミコトが、穏やかな方の領域を見ようとしているようにも見えます。
窓を拭う行為も印象的です。
曇って見えなかったものを見えるようにする。
隔てられていた向こう側を確認する。
そう考えると、二人の間にあった境界が少しずつ薄くなっている演出なのかもしれません。
「ダブル」では歌声そのものも完全には二人へ分離されず、どちらも「俺」と歌います。
窓の向こう側までつながり始めているのだとすれば、第二審は「二人を分ける」物語ではなく、分かれていた二人が互いの領域へ近づいていく物語として読むこともできます。
母親との電話では「普段のミコト」が出てくる
暴力的な映像と交互に、母親と電話しているミコトが描かれます。
ここで話している声は、穏やかな普段のミコトに聞こえました。
つまり第二審では、社会生活をしているミコトと暴力を引き受けるミコトがはっきり分けて描かれているように見えます。
仕事をする。電車へ乗る。母親と話す。普段の人間関係を維持する。
こうした「外の生活」を担当しているのが、穏やかな方のミコトなのかもしれません。
「ダブル」は二人で歌っている?
今回もっとも判断が難しかったのが、歌唱パートです。
「ダブル」では、一人称がほぼ「俺」で統一されています。
そのため、文字だけで見てもどちらのミコトが歌っているのか判別できません。
声質も完全に別人のように変化するわけではありません。
ただ、荒い方のミコトは、普段の会話でも少し喉に引っかかるような、ざらついた話し方をします。
歌唱にも同じ特徴が残っているように聞こえる部分があります。
声質から考えた暫定的なパート分け
現時点での聞き分けは、次のようになりました。
| パート | 聞こえ方 |
|---|---|
| 冒頭の括弧内 | 荒い方 |
| Aメロ | 荒い方寄り? |
| 最初のサビ前・前半 | 荒い方 |
| 最初のサビ前・後半 | 穏やかな方 |
| サビ前半 | 穏やかな方 |
| サビ後半 | 荒い方 |
| 2番・母親との電話前 | 荒い方 |
| 母親との電話 | 穏やかな方 |
| 2番サビ前 | 穏やかな方 |
| サビ前半 | 穏やかな方 |
| サビ後半 | 荒い方 |
| 終盤の括弧内の台詞 | 穏やかな方 |
| その後の歌 | 荒い方 |
| 最後の「ごめんなさい」 | 両方にかかる可能性 |
ただし、これはあくまでも声質から聞き分けた暫定的なものです。
ノイズや音声加工が強く入る部分では、そう聞こえるだけかもしれませんし、ほとんど判別できません。
聞き分けにくいこと自体に意味がある?
完全に声を変えず、どちらも「俺」と歌わせていること自体が重要なのかもしれません。
第一審では、どうしても、どちらが本当のミコトなのか、どちらが偽物なのかと考えたくなりました。
しかし第二審ではむしろ、どちらもミコトなのではないかという方向へ話が進んでいるように感じます。
二人が別人格であっても、一つの身体、一つの人生を共有している。
だから歌声も完全には分離されない。
そんな演出だとすれば「ダブル」というタイトルにもよく合います。
片方は、もう片方を守るためにいる?
歌詞を要約していくと、今回かなり強く感じるのが、片方がもう片方を守ろうとしているという構造です。
自分が負担を引き受ける。
自分が背負う。
相手を救いたかった。
しかし思っていたような結果にはならなかった。
そんな感情が繰り返し見えてきます。
第一審では、荒い方のミコトを「暴力を担当する危険な人格」と見ることもできました。
しかし第二審まで見ると、本人にとっての役割は単純な暴力ではなく、もう一人を守ることだった可能性があります。
ただし「荒い方が後から生まれた」とは限らない
ここが非常に難しいところです。
最初は、
穏やかなミコトが元々いた
→ 限界になった
→ 守るために荒いミコトが生まれた
という流れを想像しました。
しかし、歌詞は逆からでも読めます。
つまり、
荒い方が先にいた
→ 社会でうまく生きるために穏やかなミコトが生まれた
→ 穏やかなミコトに仕事や日常を任せた
→ その穏やかなミコトまで壊れ始めた
という可能性です。
「本当はもっとうまくやるはずだった」のは誰か
もし穏やかな方が後発なら、彼は、外の世界で普通に生活するため、社会とうまく付き合うために存在している人格なのかもしれません。
それなのに、チーフからの圧力や仕事によって、その人格自身まで限界になる。
そう考えると、
本当はもっとうまくできるはずだった
あなたを救うためにいたのに、自分まで駄目になりそうだ
ごめん
という読みも成立します。
一方、荒い方が後発なら、
元のミコトを救うために自分が生まれた
全部背負うつもりだった
それなのに守れなかった
生まれた意味がなかった
となる。
どちらから読んでも苦しい話です。
二人とも、お互いを守ろうとしている?
むしろ今の段階では、どちらか一方だけが守る側と考えない方がいいのかもしれません。
荒い方は、自分が危険なものを引き受ければ、もう一人は普通に生きられると思っている。
穏やかな方は、自分が社会でうまく生きれば、もう一人を表へ出さずに済むと思っている。
つまり、方法は違っても二人とも相手を守ろうとしている。
ところが、どちらの方法もうまくいかない。
穏やかな方も壊れる。荒い方は暴力を起こす。そして二人とも相手を救えない。
「ダブル」は、そんな二人の失敗を描いた歌にも聞こえました。
この曲にはずっと「焦っている」感じがある
歌詞の意味とは別に、曲を聞いていて強く感じたのが焦燥感です。
ずっと何かに急かされています。
時間がない。
早く何とかしなければならない。
このままでは片方が壊れる。
自分が代わらなければならない。
そんな切迫感が、曲そのものから伝わってくるように感じました。
冒頭で午前0時35分の仕事の連絡を見せるのも、この感覚と重なります。
ミコトは仕事でも追われ、精神的にも追われ、二人の間でも「早く助けなければ」と焦っている。
誰にも余裕がありません。
最後の「ごめんなさい」は、誰から誰へ?
終盤では、穏やかな方に聞こえる台詞のあと、荒い方に聞こえる歌が続きます。
そして最後に残る「ごめんなさい」。
私はここを、一人だけの謝罪とは決めきれませんでした。
穏やかな方から荒い方へなら、うまく生きられなくてごめん、あなたに全部背負わせてごめんという意味になる。
荒い方から穏やかな方へなら、守れなくてごめん、こんな結果にしてごめんになる。
もしかすると、二人とも同時に相手へ謝っているのかもしれません。
それなら、この一言だけは「どちらのミコトか」を決める必要がないようにも思います。
第一審Voice Drama「John Doe」
第一審ミコトのVoice Dramaタイトルは「John Doe」でした。
John Doeは一般に、名前や身元が分からない男性を仮に示すために使われる名称です。
第一審当時は「正体の分からないもう一人のミコト」と重なるタイトルとして見ることができました。
しかし第二審まで見ると、少し違う不気味さも感じます。
ミコトの中に本当に別の人格が存在していたとしても、社会的にはその人格に独立した名前も戸籍もありません。
存在していても、外からは「榧野尊」一人にしか見えない。
その存在が消えても、誰からも一人の人間の死として数えられない可能性があります。
「人の死に関わった」の“人”はミコト自身でもある?
ここからは大きな仮説です。
第一審では、明確に外部の被害者らしい男性が描かれています。
そのため、ミコトが他人の死に関わったこと自体は強く示唆されています。
ただ、第二審では被害者がすべて人形として描かれます。
そして歌の中心にあるのは、限界に達している二人のミコトです。
もし最終的に、身体そのものを持つミコトが耐えられなくなり、自ら命を絶つような事態になったらどうなるのでしょうか。
一つの身体が死ねば、二人とも死ぬ
仮に二人格が存在するとします。
元の人格が身体を死なせれば、後から生まれた人格も同時に死にます。
その意味では、元の人格が、もう一人の人格を殺したとも言えます。
一方で、もう一人が元の人格を守るために生まれた存在だったなら、元の人格の自死を防げなかった時点で、守るために存在した人格が、元の人格を救えなかったということにもなる。
もし自分の暴力や行動が元の人格をさらに追い詰める結果になっていたなら、もう一人が元の人格の死に関わったという見方まで成立します。
結果として、どちらも加害者であり、どちらも被害者という異常な構造が生まれます。
現時点では、ミコト本人の自死を直接示す証拠はありません。
ただ、「John Doe」「ダブル」、そして二人がお互いを救おうとしているように見えることを考えると、第三審へ向けて残しておきたい仮説です。
今回も「赦す」という言葉が出てくる
第二審では、多くの囚人が第一審の「赦す/赦さない」を意識しているように見えました。
ミコトの「ダブル」にも、再び「赦す」に関わる言葉が登場します。
第一審でミコトは「赦さない」と判定されています。
しかし今回のMVを見ると、「誰を赦さなかったのか」という問題そのものが難しくなります。
穏やかなミコトなのか。
荒い方のミコトなのか。
それとも、一つの身体を共有する二人まとめてなのか。
MILGRAMの判定は一人の囚人へ下されますが、その「一人」の中に二人がいるなら、判定の意味も単純ではありません。
私は第二審では「赦す」に傾く
第一審では、私はミコトを「赦さない」と判断しました。
明確な被害者が存在し、穏やかなミコトにもどこか白々しさを感じたからです。
しかし第二審まで見ると、その印象はかなり変わりました。
外部の被害者が存在する以上、暴力そのものをなかったことにはできません。
もし無関係の第三者を殺害したのであれば、その責任は非常に重いです。
それでも、今回見えてきた二人は、一方が一方を利用して罪を押し付けているようにはあまり見えません。
むしろ、
相手を守ろうとする
自分が背負おうとする
それでも救えない
最後には謝る
という関係に見えます。
さらに、ミコトが相当な精神的圧力の中にいたことも第二審では具体的に描かれました。
そのため現時点では、私は第一審から判断を変え「赦す」を選びたいと思います。
「殺人をしても仕方がなかった」という意味ではありません。
二人を単純に加害者人格と無実の人格へ分け、一方だけを罰することで解決する状態には見えないからです。
第二審の投票結果
第二審のミコトは、
| 判定 | 得票率 |
|---|---|
| 赦す | 74.38% |
| 赦さない | 25.62% |
となり「赦す」と判定されました。
第一審では「赦さない」が68.43%だったため、第二審で大きく判定が反転しています。
「ダブル」によって二人の関係や、ミコトが置かれていた状況が見えたことも、判断に影響したのかもしれません。
第三審で確認したいこと
ミコトは、第三審で確認したいことが非常に多くなりました。
- 穏やかなミコトと荒いミコト、どちらが先に存在していたのか
- どちらかが、もう一方を守るために生まれた人格なのか
- 二人とも互いを守ろうとしているのか
- 穏やかなミコトは殺人をどこまで把握しているのか
- 荒い方は本当にすべてを背負おうとしているのか
- 第一審の被害男性は誰なのか
- 第一審の被害者とチーフは別人なのか
- チーフはミコトをどこまで追い詰めていたのか
- 第二審で人々がマネキン化している意味
- バットによる殺害は何件あったのか
- 第一審Voice Drama「John Doe」というタイトルの意味
- 二人のうち、どちらかが消える可能性はあるのか
- 一つの身体の死は、二人格にとって「二人の死」になるのか
- 最後の「ごめんなさい」は誰から誰への言葉なのか
- 第二審の「赦す」を二人がどう受け取るのか
第二審「ダブル」は、第一審で見えた「二人のミコト」を、さらに単純ではない存在へ変えるMVでした。
どちらが本物なのか。
どちらが悪いのか。
そんな問いだけでは、もう足りない気がします。
二人とも追い詰められている。
二人とも相手を守ろうとしている。
そして二人とも、うまく守れなかったことを後悔しているのかもしれない。
この曲を聞いていて苦しくなるのは、その失敗を責める歌というより、今にも壊れそうな二人が、必死に相手を救おうとしている歌に聞こえるからでした。
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