『MILGRAM』シドウ「トリアージ」第二審 感想・考察|赦されたくなかった医師が「生きたい」と願うまで

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『MILGRAM -ミルグラム-』囚人番号005、シドウ/桐崎獅童の第二審楽曲「トリアージ」。

第一審「スローダウン」では、シドウは自分自身をかなり強く責めていました。自分が奪ってきたものの価値を理解し、自分は赦されるべきではないと考えているように見えた人物です。

ところが第二審「トリアージ」では、妻と二人の息子らしき家族が明確に登場します。
電話に出られなかった記憶、透けて見える家族、白いタグ、タグの付いた食材、延命をめぐる歌詞。
そして後半では、第一審とは反対に「赦してほしい」「生きたい」という方向の感情まで見えてきます。

シドウに何が起きたのか。
第二審だけでは、まだ一本の答えに結びつけることはできません。

ただ、医師として他人の命を扱ってきた人間が、自分にとって最も大切な命を失ったことだけは、かなり強く描かれているように感じました。

シドウ第二審「トリアージ」の基本情報

囚人番号005・シドウの第二審楽曲は「トリアージ」。MVは2023年3月23日に公開されました。
公式も、第一審より鮮明に描かれた世界から、シドウの罪の真相と理由を考察するよう案内しています。

タイトルになっている「トリアージ」は、災害や多数傷病者が発生した際などに、治療の緊急度や優先順位を判断する考え方です。

医師であるシドウにとって「誰を救うのか」「何を優先するのか」という判断そのものが、第二審の中心に置かれているように見えます。

妻と二人の息子が登場する

第二審では、シドウの妻と二人の息子と思われる人物が登場します。
一審ではシドウが失ったものの正体はかなり曖昧でしたが、二審では「家族」が非常に大きな存在だったことが見えてきます。

特に気になるのは、シドウ以外の家族が透けたように描かれていることです。
現在の現実に存在している人物というより、

すでに失われた家族
シドウの記憶の中にだけ残っている存在

として描かれている可能性があります。

出られなかった電話は何の起点だった?

MVには留守番電話らしき音声が入り、シドウが電話に出られなかったことを思わせる描写があります。

ここは重要そうです。

その電話に出なかったことが、事故や事件そのものの原因だったのか、それとも、家族に何かが起きたとき、シドウがそこにいなかったことを後悔しているだけなのか。
第二審時点では、そこまでは分かりません。

ただ、シドウの中で「電話に出られなかったこと」と「家族を失ったこと」が強く結びついている可能性は高そうです。

花が咲いている前半、枯れている後半

家の郵便受けのような場所には、前半で花が咲いています。
ところが後半では、その花が枯れています。

これは非常に分かりやすい変化です。
最初は家族が存在していた日常。
そこから何かが起こり、時間が進む。
そして戻れない状態になる。

家族そのものが透けて描かれていることも合わせると、花の変化は家庭が失われる前と後を示しているように見えます。

「赦されたくなかった」シドウ

第一審のシドウは、自分を赦してほしくない人物として描かれていました。

自分がしたことを重大な罪だと考え、自分には罰が必要だと思っている。
そのため第一審で「赦す」と判定されたことは、本人が望んだ結果ではありませんでした。

第一審終了報告でも、シドウ本人が望んでいない「赦す」を与えることが、逆に一種の罰になっているようにも見えました。

赦されたことが「生き続ける罰」になった?

もしシドウが自分を罰したかったのなら、赦されるという結果は簡単ではありません。

終わることを許されない。
自分が罪だと思うものを抱えたまま、生き続けなければならない。
第二審のシドウには、そんな苦しさも感じます。

ところが、歌詞はそこからさらに変化します。

「赦してほしい」「生きたい」

第二審後半では、シドウが赦しを求め、生きたいと願う方向の言葉が出てきます。

ここは第一審から大きく変わった部分です。
第一審では、自分は赦されるべきではないだった。

しかし第二審では、それでも赦してほしい、生きたいへ動いているように見えます。

本当は最初から生きたかった?

一つの可能性は、第一審の時点でも、本心では赦されたいと思っていたというものです。
ただ、罪悪感が強すぎて、赦されたいと思うこと自体を許せなかったのかもしれません。

「罰してほしい」という願いが、本当の願望というより、自分自身へ科した義務だった可能性です。

赦されたからこそ、生きたいと認められた?

もう一つは、第一審の「赦す」がシドウを変えた可能性です。
赦されてしまった。

死ぬことで責任から逃れることもできない。
そこで初めて、自分はまだ生きたいという感情を認められるようになった。

この場合、第一審の「赦す」は単なる肯定ではなく、シドウに生きて責任を引き受けることを求める判定として作用したことになります。

布団に縋るシドウへ、別のシドウが手を伸ばす

MVでは、ベッドか布団に縋るようなシドウと、そこへ手を伸ばすもう一人のシドウが描かれます。

ここも印象的でした。
一方は崩れている。
もう一方は助けようとしている。

この二人を、死にたい自分と、生きたい自分あるいは患者を救う医師としての自分と、救われたい一人の人間としての自分として見ることができます。
シドウは医師として他人へ手を伸ばしてきた人物です。

しかし第二審では、その手が自分自身へ向けられている。

これは、第一審よりも明確な「自己救済」の兆しなのかもしれません。

白いタグは何を意味する?

タイトルが「トリアージ」だけに、MVに登場する白いタグは非常に気になります。

シドウは上の息子と思われる人物へ白いタグを手渡しています。
さらに大量の白いタグと花びらのようなものが舞う場面もあります。

ただし、トリアージタグの色分けは制度や運用によって異なるため「白は必ずこの意味」と現実の制度から断定するのは避けたいところです。

MVの中ではむしろ、

まだ判断されていない
まだ結果が決まっていない
救う/救えないをこれから判断する

という「未確定」のイメージを感じました。

息子にタグを渡す意味

それを自分の息子へ渡していることが重要です。

普段なら患者を判断する医師だったシドウが、今度は自分の家族を前にして判断を迫られる。
もしそうなら、ここでは「医師」と「父親」という二つの立場が完全に衝突します。

冷静に判断しなければならない医師。
どうしても助けたい父親。

「トリアージ」というタイトルそのものが、シドウにとって最も残酷な状況を表しているのかもしれません。

歌詞に出てくる「延命」

第二審の歌詞では、延命をめぐる言葉も登場します。
これも家族の描写と合わせると非常に重い部分です。

延命という言葉は、助かる可能性がある人を生かすだけでなく、回復が難しい状態の人を、どこまで生かし続けるかという問題にもつながります。
そのため、シドウの家族は単純に「間に合わず死亡した」だけではなく、一度は医療へつながったものの、救命が極めて難しい状態だった可能性もあります。

ただし、第二審だけではここは断定できません。

シドウ本人が延命の判断に直接関わったのかどうかも不明です。

タグの付いた食材

MVには、シドウが黒い袋のようなものに入った食材を持ち帰る場面があります。

確認できた範囲では、

  • 手前にザクロ
  • 後方に大きなエビのようなもの
  • ボウルの中にオレンジらしきもの
  • アボカドらしきもの

が見えます。

そして重要なのが、袋だけではなく、生身の食材そのものにタグが付いていることです。

これはちょっと不自然な描写です。

食材と人体を重ねている?

食材は、

選ばれる
管理される
切られる
利用される
消費される

ものです。

シドウは医師として人体を扱ってきました。
そのためタグの付いた食材は、人間そのものではなく、人体や臓器を、利用可能な対象として扱うことを比喩的に描いている可能性があります。

特にシドウ第一審では、「奪ったもの」の価値を後になって理解したような内容がありました。

第二審では、その「奪ったもの」がより具体的に身体や生命へ近づいているように感じます。

フォークとメスが同時に刺さる

後半では、食材が前半より崩れ、グチャッとした状態になっています。

そこへ刺さっているのが、フォークとメスです。

この組み合わせが象徴的です。

フォークは食事の道具。
メスは医療の道具。
どちらも「肉体へ触れ、切り分ける」ために使われるものです。

そのため、食べるために切ると治療や摘出のために切るが重ねられているようにも見えます。
特にザクロは内部が赤く、血液や臓器を連想させやすい果物です。

ただし、ここから「シドウがこの臓器を摘出した」と具体的な行為まで断定することはできません。
第二審時点では、人間の身体を医療上の“利用できるもの”として扱ってきたことへの罪悪感くらいまでに留めたいところです。

前半では整っていたものが、後半では崩れている

最初の食材は比較的きれいな状態です。

後半では、腐敗しているというよりも、何かに使われ、潰され、形を失ったように見えます。
この変化も、生きているものから切り分けられ、利用されたものへの変化として見ることができます。

花が咲いていた場所が枯れている描写とも合わせると「命が失われていく」ことがMV全体に繰り返されているように感じました。

シドウの罪は「救えなかったこと」だけではない?

ここまでを見ると、シドウの苦しみには少なくとも二つの層がありそうです。

一つは、家族を救えなかったこと。
もう一つは、医師として他人の命や身体を扱ってきたこと。

第一審では後者が強く見えました。
第二審では前者が明確になります。

シドウにとって、この二つは別々の出来事ではなく、家族を失ったことで初めて一つにつながったのかもしれません。

他人の命を扱えたのに、自分の家族は救えなかった

医師として、患者を診る。
救える人を救う。
必要なら身体へメスを入れる。
延命や治療の判断をする。

それを何度も行ってきた人間が、自分の妻や子どもを前にしたときだけ何もできなかった。
もしそうなら、シドウの「自分は赦されてはいけない」という感情が非常に強いのも理解できます。

ただし、これは罪の全貌そのものではなく、第二審で見えるシドウの心理をつなげた仮説です。

第二審時点ではまだ全貌が見えない

シドウの第二審は、情報量自体はかなり増えています。

しかし、因果関係にはまだ大きな空白があります。

分からないのは、

  • 電話に出られなかったことで何が起きたのか
  • 妻と息子二人は同じ出来事で亡くなったのか
  • 家族は事故や急変の後、一度病院へ運ばれたのか
  • 延命措置にシドウ自身が関わったのか
  • 白いタグは何を意味するのか
  • 食材と臓器・人体のモチーフはどこまで直接つながるのか
  • 第一審で示された「奪ったもの」と家族の死はどう関係するのか

このあたりです。

そのため、第二審だけで「シドウの罪はこれ」と決めてしまうより、今見えている断片をそのまま残しておく方がいいと思います。

第二審の投票結果

シドウの第二審投票結果は、

判定得票率
赦す81.98%
赦さない18.02%

となり、第二審でも「赦す」となりました。

第一審でもシドウは「赦す」と判定されています。
第二審では第一審以上に「赦す」が大きく伸びました。

ただし、投票理由は視聴者ごとに異なるため、得票率だけから「家族を失ったから同情された」などと理由を断定することはできません。

私の第二審判断

第二審を見ても、私はシドウを「赦す」側です。

ただし、第一審とは理由が少し変わりました。

第一審では、シドウ自身が自分を強く罰しようとしていることが印象に残りました。
第二審では、それに加えて、この人は本当は生きたいのではないかと感じました。
自分を罰するために死ぬことより、生きたまま自分の罪と向き合う方が重いこともあります。

シドウが第二審で初めて「生きたい」と認められたのなら、私はその方向を止めたいとは思いません。

「赦す」は無罪ではなく、生きろという判定かもしれない

シドウにとってMILGRAMの「赦す」は、単純な無罪宣告には見えません。
むしろ、

あなたはまだ生きなければならない
自分を罰して終わることは許さない

という判定にも見えます。

第一審では、それがシドウ本人の望まない罰だった。
第二審では、その罰を受けた結果として、本人の中から「それでも生きたい」という気持ちが現れ始めた。

そう考えると、シドウはこれまでの第二審囚人とはかなり違った形で、第一審の判定に影響を受けているように見えます。

第三審で確認したいこと

シドウについては、まだ事件そのものの全貌が見えていません。

第三審で特に確認したいのは、

  • 妻と二人の息子に実際に何が起きたのか
  • 出られなかった電話は何を意味していたのか
  • シドウが家族の治療判断に関わったのか
  • 「延命」は誰についての言葉なのか
  • 第一審の罪と家族の死はどのようにつながるのか
  • タグ付きの食材は臓器や人体の何を象徴しているのか
  • シドウは「生きたい」という願いをその後も持ち続けられるのか

です。

第二審で見えてきたのは、シドウが単に死にたがっている人物ではないということでした。

大切なものを失い、自分を罰したいほど後悔している。
それでも、生きたい。

その二つが同時に存在しているからこそ、シドウの「トリアージ」は、患者の命だけではなく、最後には自分自身の命をどう扱うのかという選択にも見えました。

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更新

2026年9月:第二審「トリアージ」初見・再視聴時点の感想と考察を作成。
第三審の情報は使用していません。

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